[週1日は原発のことを考える]

ISILによってジャーナリストの後藤さんが殺され、その後ヨルダンのパイロットも殺され、ヨルダンは死刑囚の死刑を執行し、とめまぐるしかったこの数日。

9.11の時に突然登場した「テロとの闘い」という言葉がまた取りざたされるようになり、そしてその時と同じような違和感を味わっている私がおります。

理不尽な暴力をぶつけられた時に、同じ暴力で返すことは、一時的な感情のはけ口になるだけで、やはり解決にはつながらない。と私は思います。
暴力で返さずに、冷静に、おとなしくして、どうすべきかじっくり考える。
これは本当に難しい・・・。多分解決策はすぐには見つからない。やることなんかすぐ見つかるわけがない。でも私はこっちでいたいなぁ。

昔から、大勢が盛り上がって極端に同じ方向を向いてる状況を感じると、どちらかというとちょっと違和感を感じて気持が引いてしまうタチなので、この感覚はわるくないのかなと思う。

ちょっと無理やりこじつけだけれども。
原発事故が起きて、反原発の声がたくさん上がった時も、一種の「闘い」の洋装を呈していただけれど、今4年近くたってそれが直接的な解決につながっているかというと、疑問。

やいのやいの言うよりも、主義主張をとなえるよりも、小さなことをコツコツと、休み休みでも続けているほうが、自分自身にも周りの人にとっても幸せにつながる気がしている。

といいつつ、個人的なことではカッとしやすいタチなので、まぁまだまだ修行ですわ。

最後に。ヤナギー万歳!

 

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