これでほんまに丸1年

これは、今朝、2011年1月6日の7時5分ごろの空。

「7時5分やから」と夕べ父から電話があった。
「あ、そうだっけ」と私。


1年前の今日。
病院のすぐ近くのホテルで4泊目の朝。
電話で飛び起きて駆けつけたけど、ギリギリその瞬間には間に合わなかった。

家族バラバラで過ごすことになっていた年末年始。
元旦の11時ごろに大阪駅のトイレで倒れて、親切な人が通報してくれて、すぐに近くの大きな、いい病院にかつぎこまれて。
二度と意識が戻ることは無く、5日後にそのままあっさりと逝ってしまった。

もし家で一人で倒れていたらそのまま冷たくなっていたかもしれない。病院に行くのが遅れた、いい病院にあたらなかった、という悔いが残ったかもしれないけど、そんなこともなく。
家族に対して、長期の介護といった負担を強いることもなく、脳死状態で器具をはずすかどうかという選択をさせることもなく、前触れなく突然倒れて、5日後に自然に心臓が止まって、息を引き取った母。(呼吸器をつけていたから、「自然に」というのはちょっと違うかもしれないけど)
なんとあのひとらしい、いさぎよすぎる最期よ。

私は、前日の大晦日の午後に、Skypeで顔を見ながら話したのが最後になりました。
ほんとだったら、明けて2日に電話する予定だったのだけど、母のほうから「元旦は母(私の祖母)の見舞いに行って、翌日の2日は疲れて寝てるかもしれないから大晦日がいい」と言われてそうなったのでした。
これが世に言う、虫の知らせってやつになるんですかねぇ。

本人は、日付が元旦になってすぐ、ブログを更新してました
この半日後くらいには、もうこの世の人ではない(に等しい)状態になってるなんて、本人も多分思ってなかったでしょう。

私は無神論者だし、死んだら何もなくなるだけ、ってドライに思っているクチですが、
でも、ほんとに、この「生きてた人の意識」ってどこにいっちゃったんやろ、ってやっぱり不思議に思います。

別に理不尽だとかは思ってません。誰でもいつか訪れるものだし。
でも、やっぱり、少し、かわいそう。
あんまり長生きしすぎたくないわ、と口癖のように言ってたけれど、ちょっと、早かったよねぇ。

「来年は母(私の祖母)が脳いっ血で倒れたのと同い年(66歳)になるから気ぃつけんと」と大晦日に話していたのにねぇ。
私も、いつの日か母は脳梗塞で倒れるかもしれない、と漠然と思ってはいたけれど、こんな最初の一撃で終わってしまうとまでは予想してなかったわ。

どうなるか分からんねぇ。
そう言うてる自分だって分からんのに、自分だけはまだ当分大丈夫ってどこか思ってるねぇ、私。
だからこんなこと書いてられるんやろねぇ・・・。

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若干陶酔気味?な文章で失礼しました。
お墓は遠いし、家に仏壇があるわけでもなし、どうしたもんかと思っていたけれど、
その時間の空を眺めて写真に残すことにしました。空の写真、好きだったので。
11Fの我が家のベランダから。北風のびゅうびゅう吹く、チョー寒い朝でした。

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