[週1日は原発のことを考える]読み終わった
あれ、またこっちのブログ、1週間更新してなかった。
津波と原発 佐野 眞一 講談社 2011-06-17 by G-Tools |
やっと読み終わりました。こんなに時間がかかってるのは、私が怠慢なだけで、実質読む時間はたいしてかかっていません。読みやすいです。
先日も書きましたが、やはりプロのルポライターの文章というのは、やはりプロらしく、読ませます。
最近、ネットの文章にばかり触れ合ってたので、こんなアタリマエのことに気が付きました。
所々、感傷的にすぎるというか、強引な結びつけ方だなぁと感じるところもありましたが、これは佐野さん自身の思いなのだから、それはそれ、と思うことができます。
(きちんとご自分の名前を出して書いてる本ならではだと思います。ネットでよく見かける、どこの誰が描いた分からない文章でこういう書き方をされると、不安心や反発心が芽生えやすい気がする)
この本最初に知ったのは、TBSラジオ「キラ☆キラ」での神足裕司氏(がんばって!)のコラムだと思うのですが、その時も紹介されていたこの文がやはり強烈に印象に残りました。
炭鉱労働も過酷な労働には違いない。だが、そこから無闇に明るい「炭坑節」が生まれた。
…(略)…
だが、原発労働からは唄も物語も生まれなかった。
…(略)…
それは、原発に寄ってもたらされる物質的反映だけを享受し、原発労働者に思いをいたす想像力を私たちが忘れてきた結果である。
あと、「津波は人を饒舌にするが、原発は人の口をつぐませる」というのもあった(これはうろ覚えで書き起こしたので正確ではない可能性アリ)
前半の津波被害の場所の人の話は、悲壮感だけではない、しぶとさや必死さが垣間見れて、これも、未だ現地に行ったことのない私には、知れてよかったと思いました。
後半では、日本、そして福島に原発がどのように導入されてきたのか、経緯がざっくりと分かります。
なんでもかんでも時代のせいにしたらいかんけど、これは、その時代ならではの動向だったのではないかとも思ってしまいます。
そして、とにもかくにも、原発を推進しつづける、熱に浮かされたような時代を経て、驚異の戦後復興があって、その上に、親世代は生き、自分自身も生まれて今まで生きてきたってことを自覚し続けなくてはいけない、と改めて思いました。
たった100年前に原発はまだ影も形もなかったんですよねぇ。
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