[週1日は原発のことを考える]冷温停止やら終息宣言やら
あっ、また前回の更新から1週間たっている。
来年からはもうちょっとどないかしよう…。
先週、野田さんが「冷温停止」だけでなく、事故の「終息宣言」まで言っちゃって、なんだかとても虚しい気分。
そもそも、メルトダウンそしてメルトスルーしてそうだという時点で「冷温停止」という状態はありえない、
という専門家の話をきいてたので。
元SEなので、工程表とかステップごとの完了報告とか、このやり方の、いい面も悪い面も両方、少しはわかっているつもりです。
だいたい、最初の工程表どおりにいかないもんです。
メルトダウンがはっきりするまえに立てた工程表ですから、本来ならそこで見直しするのが道理。
でも、きっと関係者が多すぎて、調整が大変すぎるので、見直しというのは行われないことも多いのも一般的(笑)
まさに、よくある、ふらふらしたプロジェクト運営だなぁと。
でも、今回は、良い悪いの次元で語るのではなく、とにかく少しずつでも改善に進める、もうそれが一番ってのもわかってるつもり。必死で働いてくれている人たちには頭をさげるしか無い。
でもでも、だからこそ、「終息」の言葉は使うべきじゃなかったんじゃないかなぁ。
「終息とは言えないが、いい方向には少しずつ向かっている、現場の人達には感謝感謝」を全面に押し出すほうが、よかったんじゃないかなぁ。
と、庶民の立場からするとそう思うんだけど、国際外交的にはまた別なのかな。
でも、多分、外国からは既にこの件に関して日本政府の言うことは全然信用されてないように思えるけど・・・。
っていうかここでグダグダ言ってるだけの自分が一番ムダだな(笑)
NHK朝ドラ「カーネーション」は、今、太平洋戦争の末期にさしかかり、庶民の暮らしがいっそう大変になってるところ。
貧乏に耐えろ、鉄を供出せよ、等々、このへんの描写を、昔ほど他人事には見れないよ。
きっとあの頃だって、全員が単純に耐えてただけじゃなくて「こんなんでほんまにええんかな・・・」とどこかギモンに思いつつ、でも反対行動できるほどでもなく、だったんやろなぁ。
あれから100年も経ってない。
同じ国の同じ民族がやってる政府だもん、やりかたが、そうそう簡単には変わらないってことが、しみじみ身にしみるようになってしまった。
節電って、ホンマに必要なんか?電気足りてるって説がもっぱらやんか、
と思いながら、照明を節約し、湯たんぽ導入してる自分がいる。
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